「いってきます!」を英語で言えますか?日常英会話でサラッと使いたいニュアンス別表現方法

[公開日]2016/08/17

英語表現 いってきます我が家にはもうすぐ四歳になろうとしている長男がいます。日本人のママである筆者とアメリカ人のパパに育てられている彼にとって、スムーズに自分自身を表現できる言葉は英語です。幼稚園に入って、今やっと日本語をしゃべり始めたところです。

そんな長男が、「パパ、これはおいしいよ~」

と言えば、

”Oh, does it taste good?”
(それ、おいしいの?)

と必ず夫は英語で返します。「ホントー?」などといって日本語では決して返しません。これは彼が子供たちをバイリンガルにするという目的で心に決めたことだからです



第一子が生まれた時に、我が家の言語は英語にする、と固く決めた夫。というのも我が家の生活の場が日本なので、テレビをつけてもラジオをつけてもお隣さんの夫婦喧嘩が聞こえてきても、全て日本語ですよね。子供たちは学校に行けばもちろん日本語で各教科を習います。どう抗っても成長していくと日本語はマスターできるはず。怖いのは、「アメリカ人の父親を持っているのに英語をしゃべれない」となることです。夫は日本語が上手ではないので、子供たちが英語をしゃべれないとなると、一生困る問題だったのです。

そんな夫が朝は何と言って仕事に出かけるでしょうか。

「いってきまーす!」

帰ってくれば「ただいま」。食べる時は、両手を合わせて「いただきます!」食べ終われば「ごちそさまー」と言うのです。たまに「言ってること違うんじゃないの」と筆者は思ったりもしますが、それくらいにこの「いってきます問題」は複雑なのです。一言で言ってしまば、英語にはない表現が日本語の毎日の挨拶の中にはたくさんあるのです。日常生活で出てくるそんな日本語の表現をニュアンス別に見ていって、英語に当てはめてみるということしかできません。

よく英語学習者初心者の方で、英語のワードすべてを日本語の言葉に、または逆に日本語のすべての言葉を英語のワードそのままに変換できるはずである、と信じ切って勉強されている方がいます。しかし言語はそんな数学的に行きませんから、フレキシブルにならなければ英語は習得できません。

今回は、ニュアンス別のそんな日常生活での表現方法についてお話します。



いってきますの英語表現方法は様々!


私がうちの夫と付き合い始めてからというもの、日本の文化というものをちょこちょこと紹介し始めてからというもの、同棲し始めてからというもの、私と彼の間では日本語の「いってきます」で通してきました。これは英語でそんなフレーズがないから、ということに尽きるのです。

日本語の「いってきます」って、誰の為に言うものでしょうか。おそらく、家の中にいる人に言う言葉ですよね。一人で住んでいるのに「いってきます」という人は少ないでしょう。家族に「今から私は外へ行きます」というのを伝えるために言う挨拶ですよね。つまり、人の為に言う言葉です。ここにはねぎらいの精神が根底にあります。

筆者が思うに、英語に訳せない日本語というのは、英語圏の文化にねぎらいの概念がないことが理由ではないかということです。

“I’m leaving”
“Off, I go”
“I gotta go”

強いて言えば、こうやってアメリカ人は言うのではないでしょうか。実際、夫の実家でいると義父母はこんな感じで外出する前に言っています。いずれも自然だとは思いますが、「いってきます」のように決まった挨拶としてのフレーズがないのでその時の気分によって使ってみれば良いと思います。

ただいまの言い方はその人次第!


私が初めて夫の実家にお邪魔した時に、義母がスーパーから帰ってくると、こんな風に言っていたのがすごく印象に残りました。

“Hello!”

アメリカ人とは、電話を取るときも、誰かにあったときも、「ただいま」と家族に言うときも皆「ハロー」なのかと違和感を感じたものでした。
しかし、ここでも言いますが、決まりきったフレーズというものがないので人にもよるのでしょう。義母の場合は、いつも「ハロー」といいながら中に入ってきます。夫に他の人は何と言うのか聞いてみました。

“I’m back!”
(戻ったわよ)
“Dad’s home!”
(パパが帰ってきたぞ!)

大学時代に総勢6人で一つの家に住んでいたときは、誰も特に何も言っていなかった気がします。どこかから帰ってきて家に入ってくると、誰かに鉢合わせたら、

“Hey!”

などと言っていた気がします。これもその人の性格や気分によって違うのでしょう。

いただきます、ごちそうさまは日本だけ?


これも英語を学習している人にとっては馴染みがある表現かもしれません。食事の時の挨拶も英語にはありません。キリスト教の家庭なら食べる前にお祈りの時間があるかもしれませんが、挨拶のフレーズというわけではないのですよね。

うちの息子も幼稚園では「いただきます!」といってお弁当を食べているようですが、家ではなぜか言いません。座ってそのまま食べています。家庭では英語をキープしたい夫は、おそらく長年の癖で「いただきます」と言います。家庭内の英語の波の中で違和感があるといえばあるかもしれないですね。

義父母のことを考えても、彼らはキリスト教徒ではありませんので、食事ができれば

“Dinner is ready!”
(夕飯ができたわよ!)

といって皆をテーブルに集め、そのまま食べ始めます。何も言わないので日本人としては何ともおかしな感じがしますが、筆者も郷に入れば郷に従います。食べ終われば終わったで、「ごちそうさま」と誰も言わないのでそのまま食器を台所に持っていきます。節目が大好きな日本人としてはとても違和感を覚えるかもしれませんが、一般的にこんな感じです。先ほどの「いってきます」や「ただいま」ならまだ英語でもニュアンスや状況に応じて違うことを言語化します。しかし、食事の席に関しては、皆が発語さえもしないので、筆者も今考えてみたのですがあえて言うフレーズも思いつきませんでした。

食事を作ってくれた人や、食べ物自体に感謝する、ねぎらうという思いがない文化なので、仕方ないのかもしれません。日本では食べ物を育ててくれた水や太陽にまで感謝しての「いただきます」なのでそこらへんは全く概念が違いますね。

これを一度知ってしまえば、きっとうちの夫のようにあえて日本語で毎食時、言いたくなってくるのかもしれません。

ネイティブが理解しづらい日本語「お世話になります」を英語で言うと・・・


日本で生活を始めてからというもの、最初のうちに夫が困っていたのがこのフレーズでした。「お世話になります」とは、どういう意味?とよく聞いてきました。これを聞かれた筆者も説明に困るのでした。

“Ummm… Osewa means taking care, so it’s like.. the person is thanking for you to take care of her all the time”
(お世話というのは、TAKE CAREという意味で、それはなんというか、その人があなたに対してお世話をしてくれてありがとうって言ってる感じかな。)

こうやって説明するのですが、夫はどうにもしっくりこない顔をしていましたね。「お世話をする」なんて英語ではとても大それたことで、そんなことをした覚えがないのに、と夫は思っていたでしょうね。

日々誰かと関わりながら仕事をしたり、生きていっているという意識が日本人は強いですが、アメリカ人にはそんな感覚はありません。誰か親しい人に「お世話になっている」という思いはないのです。ただ、私はあの人が好きで友達でいる。あの人も私のことが好きで友達でいてくれる、それだけ。とてもドライな感覚です。

日本人は「お世話になります」と仕事でもプライベートでもよく使うので、いきなり「英語ではそんな表現はないから、言うな」と言われても難しいところ。特に最初のうちはそう思っても仕方ありません。プライベートではこんな風に言ってみてはどうでしょう。

“Thank you for coming with me to shop the other day! The sweater you picked for me worked out real well for my date.”
(この前は一緒に買い物付き合ってくれてありがとう!あの選んでくれたセーターだけど、この前のデートで大活躍だったよ)
“Thank you for having me over the other night, it was a fun party!”
(この間呼んでくれてありがとうね。とっても楽しいパーティだった!)

「お礼を言う」ということに転じてしまいますが、「この前は楽しかったよ」「あなたのアドバイス助かったよ」という表現をすることで通じると思います。

仕事でのe-mailなどでも「お世話になります」と気軽に挨拶がわりに使いたいと思いますが、これこそカットしてもOKです。いきなり仕事の話の内容を話すのが常ですから、カットしても違和感はありません。もしも特に言いたいなら、上のように前のつながりをお礼するやり方で伝わると思います。

"real well"と"really well"どっちが正しい?
先ほどの例文「Thank you for coming with me to shop the other day! The sweater you picked for me worked out real well for my date.」で、お気づきになった方もいるかもしれません。この英文は正確に言うと、really wellですが、アメリカ口語としてreal wellはネイティブが頻繁に使う英語表現です。

「失礼します」を英語で言うと、フランクな英語表現に


うちの夫は、学校で英語を教えているのですが、「職員室に入ってくるたびに生徒が何かいうのだけど、何を言っているのか分からない」というので「失礼します」じゃない?と言うと「そうそれそれ!」と言っていました。先生の部屋に入るたびに、そういえば言っていましたよね。学生時代のことを思いだしました。

どこかの場所に関してリスペクトを払うというのは、とても日本的なのだそうです。筆者も全く知らなかったのですが、確かにそうですよね。神社やお寺で悪いことはしてはいけない気がするし、相撲の土俵も塩で清めます。こういった神聖な場所という概念は神道の流れが関係しているそうです。

アメリカではもちろん教会はありますが、その教会が建っている土地自体に意味はありません。日本の神社は神話や昔のなれそめの話があって、そこに建っているということが多いですよね。

この意味での「失礼します」もあえて英語に訳してみるとすればどうでしょう。

“Excuse me”
“I will come in”

などがそれにあたると思います。しかしどちらも自然な英語、とはいいづらいでしょう。というのもネイティブは何も言わずに入ってくるからです。とはいっても日本人として無言で入っていくのも気が引けるということもあるでしょうから、上に挙げたような表現で言っても大丈夫だと思います。また、

“Hello”

という挨拶をしてみたり、

“I have a question to ask”
(聞きたいことがあるのですが)

などの、その部屋に来た目的をストレートに告げてみるのもいいかもしれません。

「お疲れ様です」を英語でいうと、どストレートになる


仕事を一緒にしている人に「お疲れ様です」と言うときはどうでしょうか。これこそ、ねぎらいの表現ですよね。最初のほうに記したとおり、ねぎらいの概念があまりない文化ですのでこれはとても難しい表現です。「お疲れ様です」を直接的に翻訳すると

“You must be tired.”
“You worked hard”

という感じになるでしょうか。どちらも自然な表現とはいえませんが、使えない、ということではありません。

“You were working pretty hard today, are you doing okay?”
(今日とても頑張って仕事していたようだけど、大丈夫?)

などと相手に質問してみれば自然なやりとりができるでしょう。

英語の「お先に」はさっぱりと“See you later”で


一緒に仕事などの作業をしていて、自分が先に帰る時に使う表現です。日本ではこれを言う前に、そそくさと無言で帰ってしまっていたら、ひんしゅくを買う事でしょうね。アメリカの仕事場では普通にこんな感じで言っていました。

“See you later”
“Bye”

「じゃあまたね」とお別れの挨拶で良いのですね。「お先に失礼します」などといったねぎらいの気持ちは入りません。ただ単に、「またね」という具合です。仲間意識の強い日本人の中には「先に帰ってしまって悪い」という気持ちの上に立ったこの「お先に失礼します」ですが、アメリカ人にはそんな気持ちはないのです。シフトが終われば上がり、それだけです。何とも単純ですが、ドライで筆者なんかは好きでした。

日本人は考えすぎ、言ってない気持ちが渦巻きすぎて人間関係が難しくなるとはよく聞きますが、こういうところがきっと原因になっているのでしょうね。日常的すぎて、私たちは特に意識していないのですが。

英語脳に切り替えるかニュアンスを伝える


日本語特有の挨拶に、これといった英語訳がつかないことがお分かりいただけたでしょうか。英語でニュアンスや状況に応じたフレーズを言っても良いのですが、英語として自然な流れになるかといえば、そうでない場合が多いでしょう。そうなると、英語脳に切り替えてそれらの挨拶を言いたいところをぐっとこらえて、飲み込んでしまう。まるでネイティブになったように、日本語的な考えは捨てて、そこは英語として自然な流れを取るということです。

それが難しい、やはり日本人として完全に無視するのはちょっと、と思うなら、英語を話す外国人皆には難しいかもしれませんが、親しくて日本文化に興味のある外国人には、日本語では「いってらっしゃい」「いただきます」「お世話になります」というような言葉や考え方がある、そしてそれをあなたに今言いたいんだよ、ということを伝えてはいかがでしょうか。そうすれば外国人のお友達も感銘を受けて、そのフレーズを使いだすかもしれません。

使い始めればなじみますから、筆者と夫が長年英語で会話をしてきていても、一部はどうしても日本語であるというように自然な関係が築けるかもしれません。